山の会群像
 稲門山の会の会員には、仕事以外に様々な趣味を持ち一芸に秀でた方や、様々な活動をやられてiいるOBの方々がたくさんおられます。このページはその方々を時折ご紹介させていただくページです。

 
恩田OB(S37年卒) 第二巻目の「短歌集」

−古希から喜寿までに詠んだ歌− 出版のお知らせ



 


 
 
 恩田和夫OBは、古希を迎えた2008年11月に短歌集「独り山旅で詠んだ歌」を自費出版されましたが、その7年後の2015年12月に、前回の短歌集の続編である「独り山旅で詠んだ歌・第二巻」を自費出版されました
 
 恩田OBは、今回の短歌集のまえがきで下記のように述べています。

 「たしかな老いの衰えを感じながらも、大好きな山歩きを続けて、今年10月に喜寿を迎えた。この節目に、古希を過ぎてからの山旅で山日記帳に留め置いた歌を、先の『独り山旅で詠んだ歌』の続編となる『第二巻』としてまとめてみた。古希からもう七年が経った。この間に、山中での怪我や病変で二度の入院という苦い経験もした。それでも、これに懲りることなく、山に抱かれる至福のひとときを求めて山歩きを続けてきた。かなりしぶとい性格を持ちあわせた自分に気づく。 <中略>
 古希を過ぎてからは、文字通りの「老人モードの登山」を心がけた。自分なりに「低名山」を探しては出かけた。結果北海道、東北方面の旅が多くなった。奥深く、静かで、老人の旅ごころとの折り合いも良いようだ。 <中略>
 山を降りて、満足感に浸りながら今日のお山を振り返り、里でひと息入れるときに、いつも思うことがある。(いつまでつづけられるかな)と。答えは自分が出せる筈なのに、まだ出てこない。」

 「独り山旅で詠んだ歌・第二巻」は、前回歌集と同じように春、夏、秋、冬に加えて、巻末に今回新たに「山旅の足あと」と題して1、日本百名山完登の記録、2、そのあと古希までの記録、3、古希から喜寿までの記録が、加えられています。
 四季それぞれの山旅の歌は、恩田OBが言われる「写真では表現できない。」こころの風景を詠っています。

 学生時代、歌集に収録されていて、皆で良く唄った歌の一つに、旅という山の歌がありました。

 1.今日は野を越え 明日山越えて    限り知らざる山旅へ
 2.夏の真昼か 深山の谷か        しばし憩えば百合が咲く
 3.咲いた花なら つまみもできず     涙ながらに西東
 4.冬の山見りゃ 心も勇む         雪に焼けたる身にしみる
 5.外は吹雪か 北風夜風          去年の出湯の里恋し
 6.守れ権現 我らが旅路          行けば遥かに雲幾重

 この歌は、こういう気分で山旅ができれば良いなと想う、いわば憧れの歌でした。

 それでも、夏の北アの縦走途中で「夏の真昼か深山の谷か、しばし憩えば百合が咲く」の光景にぴったり出会ったり、風雪の冬天の夜、「外は吹雪か北風夜風、去年の出湯の里恋し」の歌詞が、突然浮かんで来たこともありました。また、歌の締めに、権現の意味も解らないまま、「守れ権現」と、だみ声でがなり立てた懐かしい思い出もありました。

 恩田OBの歌集を、一首ずつ読ませて頂きながら、かっては憧れた山旅への想いが沸々と、湧いてくるのを感じました。恩田OBの山旅には、山の景色だけでなく、山猿や熊、うさぎ、鳥、花や樹々、雲、そして戦いの遺跡、さらに山に暮らす人々も登場します。歌は恩田OBの情感あふれる細やかな感性によって、文字が映像化され、私たちの心に迫ってくるのです。

 はなはだ 僭越ですが、「独り山旅で詠んだ歌・第二巻」120首の中から、勝手に20首を選び紹介させて頂きました。歌集を開いていると、私も飲めないお酒に親しみながら、苦手な一人旅に出かけてみたくなりました。

                                              S41年卒 金子 治雄 記

 



 

 

 

 

 

 


 

 


 


 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 
 




示現会出品作品
   




吉田OB(38年卒) 第64回創造展 陶芸の部出品

プロの陶芸家をもしのぐ作品を生み出される吉田OBは今年も5月25日(水)〜30日(日)に浅草・都立産業貿易センター台東館で開催された創造展に出品されました。
 




恩田OB(37年卒)古希記念「短歌集」出版のお知らせ

  

 恩田OB(37年卒)は08年10月に「古希」をお迎えになりましたが、その記念としてこのたび「独り山旅で詠んだ歌」という題名で短歌集を自費出版されました。
 恩田OBは、ご存知のように60歳定年を期に「日本百名山」に挑み02年に踏破され、03年にはそれを基に350頁にもわたる「山日記で綴った六十年」も自費出版されました。今回の「短歌集」はそれに続くものです。

 恩田OBはこの「短歌集」について、まえがきで、百名山踏破中に書き留めた「短歌風」の印象記述や情景描写を短歌に仕上げたものに加えて、近年の山行でしたためた歌を、百首あまりを収録したと述べています。
 
 


        
 
 「短歌集」は春、夏、秋、冬、そして旅終えての5つの部にわかれていて、美しい写真とともに、様々な山での季節のひとときを詠っており、恩田OBの山旅に引き込まれてしまいます。
 今回、それぞれの季節を代表する歌を恩田OBに選んでいただき、ご紹介させていただきました。
      
     
     秋

      
     旅終えて




 吉田OB(38年卒)
ジョン・ミュア・トレイル踏破写真集出版のお知らせ
 
09年2月12日〜15日に、稲門山の会副代表でもある吉田OB(38年卒)のジョン・ミュア・トレイル踏破写真集出版と陶器展を兼ねて赤坂「バクさんの家」において展示会が開催されました。
会場の酒場「バクさんの家」は赤坂見附駅近くのビルの地下にあります。
            様々な陶器が展示されています。         いずれも素人の趣味の域を超えている作品ばかりです。
    壁にはジュン・ミュア・トレイルの写真がパネルにして展示されています。     吉田OBの高校時代の友人の方々が大勢いらしています。
恩田OB(37年卒)と41年同期の稲吉、宮尾、小島、杉村OBの面々です。 吉田OBの高校のクラスメイトの方々です。昨年展示会でも、いらしていましたが、みなさん仲が良いです。
ジョン・ミュア・トレイルで出合ったお友達です。写真にも登場しています。  日曜午後の赤坂界隈はのんびりしています。小島OBが履いている、丸くカーブした靴底の変わった新種のトレッキングシューズの話を聞いています。
                     ジョン・ミュア・トレイルの写真集
 
 ジョン・ミュア・トレイルとはヨセミテのあるカリフォルニア東部のシェラ・ネバダ山脈の全長340kmのロングトレイルです。
今から100年以上前、1892年ジョン・ミュアらによってサンフランシスコに山岳団体でもあり自然保護団体であるシェラ・クラブが創立され、時の大統領のセオドア・ルーズベルトが1901年、ジョン・ミュアの構想で成立したヨセミテ国立公園を訪ねキャンプしたことから国立記念物創設のきっかけとなりました。このシェラ・クラブは自然保護運動を展開した世界最初の本格的な団体といわれ、今日でもその影響力は大きく、世界中の自然保護、環境保護の活動に大きな役割を担っています。
 ジョン・ミュア・トレイルはシェラ・クラブの精神を具現化する聖地として、世界中から自然保護、環境保護に関心がある人々を寄せ付けています。しかし全長340kmのジョン・ミュア・トレイル踏破には3,000mを越える峠を11も越さなくてはならない高低差の大きな登山道ですが、吉田OBは04年、05年、06年と毎年夏2週間ずつを要して、25kmのザックを担ぎ幕営しながら踏破しました。更に07年にも写真の取り直しと補充のため出かけました。

                 2004年  ヨセミテからレッズメドウまでの92kmをマンモスレイクへ
                        8月14日〜26日  13日間
                        真下OB(39年卒)と同行、
                        蚊や虻に全身を食われ、単調な食事に飽き、筋肉の痛みに夜も眠れない毎日。

                 2005年  レッズメドウからルコンテ渓谷を東に外れてビショップバスからサウスレイクへ125km
                        8月5日〜16日までの12日間
                        小学校教員の山本康人君と相前後する。昨年トールミーメドウでお会いして意気投合。
                        雨と雷に悩まされたウエットな毎日

                 2006年  ビショップからルコンテ渓谷へ戻りマウントホイットニーをピストンして
                        ホイットニーポ−タルへ150km
                        8月10日から23日までの14日間
                        今年も康人君と追いつ追われつをトレールに展開
                        前半は風邪で呼吸困難の毎日

                 2007年  写真の撮り直しと補充のために、マンモスレイクから北上しヨセミテまでの100kmと
                        周辺のヴァリエーションルート
                        8月6日から19日までの14日間
                        4年の年月に体力の衰えを思い知らされた毎日
 
 カバーは布張り、写真はマット地のクラシックな洋書的な美しい写真集。 ジョン・ミュアとサンフランシスコ郊外にある1914年に生涯を終えた家、歴史館となっている。
         ジョン・ミュア、ヨセミテ・ビジターセンター
     3年間の行程です。
                 迫力のハーフドーム              キャセドラルピークを目指して
JMT THUーHikersのための食料運搬荷駄隊 サンライズキャンプ地に向かう食料運搬荷駄隊
Upper Lyell 9670f
Silver Pass Lake 9,000f Muir Pass and Hut
Muir Pass Le Conte Canyon
Bishop Pass 11,972f
Le Conte Canyon レンジャー To Mather Pass 12,100f
Upper Basin to Lake Marjorie Lae Lakes 10,541f
Glen Pass 11,978f Bighorn Plateau 11,200f
Mount Whitneyへの稜線 Mount Whitney 14、498fの西面
Mount Whitneyの北西 Trail Crest 13,484f
Mount Whitney 14、498f Mount Whitney 14、498f-2004 真下OB、吉田OB




栗又OB(38年卒) 第62回示現会展に出品
09年4月1日から13日まで第62回示現会展が国立新美術館で開催されましたが、今年もまた栗又OBは「八方からの不帰」の風景を描いた山岳画の大作を出品されました。対象は不帰U峰でしょうか。大迫力で迫ってきます。


国立新美術館は六本木ミッドタウンの傍にあり、最寄り駅は千代田線の乃木坂です。 ガラス張りの広々としたロビーの2階に上がると示現会展の会場があります。
斎藤(雄)OBと同行しました。海外赴任の長かった斎藤OBは欧米の名だたる美術館には何回も足を運んでいたようです。 最終日の月曜午前中でしたが、会場にはたくさんの人々が訪れていました。日本もいよいよ文化芸術が盛んな国になったのでしょうか。
存在感のある栗又OBの絵は遠くからでも直ぐ目に入ります。     記念写真です。



 栗又OB  
2010年4月 示現展(新国際美術館)
 
      毎回山に出かけ精力的に絵筆を振るう栗又OB(38年卒)は、4月に示現展、7月に山岳画家展に出品されました。
      両展とも笠原OBが撮影されました。
「北穂高岳南稜」

昨年10月涸沢ヒュッテに滞在して描かれた作品です新雪の穂高は美しいです。

栗又OB2010年7月 山岳画家展(交通会館) 
「甲斐駒秋風」
「穂高岳」


    本格的に絵筆を握る   栗又OB (38年卒)

 2008年4月2日から4月14日まで、国立新美術館にて第61回示現会展に栗又OB(38年卒)の力作が今年も出品されました。

 作品は、昨年10月に訪れた剱岳仙人池からのチンネや八ッ峰の鋭い岩峰の風景をダイナミックに描いたものです。示現会展に出品作品の中にも、山を描いた作品は結構ありますが、いずれの作品も麓から山を眺めた作品で、栗又OBの作品のように山に入って山を描いた作品はありません。それだけ仙人池に登って描かれた作品には、剱岳の持つあの迫力が見事に表現されていました。



国立新美術館の示現会展会場を訪れたら、高橋OB(34年卒)と恩田OB(37年卒)ご夫妻がお見えになっていました。
栗又OBの作品を前にして記念写真を撮りました。F80号のサイズは写真の様に大きいのです。

右から高橋OB(34年卒)、絵をはさんで恩田OB(37年卒)、左側が栗又OB(38年卒)です。


絵を前にして栗又OBにいろいろお伺いしました。

まず絵の大きさをお尋ねしました。キャンバスのサイズは F80号と言って幅1,120cm、高さ1,455cmだそうです。会場の作品は皆同じぐらいのサイズですが、家庭の壁に架けたら凄い大きさになるでしょう。額も立派です。

次に示現会展についてお尋ねしました。示現会は創立が昭和22年でこの示現会展は翌23年から始め、今年で61年間続いて来た美術展で、現在会員は1,000名を越えているそうです。栗又OBはこの示現会展に、1998年に初入選を果たし翌1999年にも入選、その後2001年には準会員として認められ、現在は正会員になっているそうです。

絵を描き始めた時から、絵の題材は山ではなかったそうです。最初は仕事で関係していたインドネシアの布とか置物などの静物画でした。それから山の絵に転じて今まで西穂、甲斐駒ケ岳の魔利支天、阿弥陀岳、白馬岳、北岳、剱岳などを描いてきました。
 
栗又OBの年賀状は毎年示現会展に出品された絵が掲載されています。私の年賀状ファイルから過去に描かれた山の絵を紹介させていただきました。ご堪能ください。
 
     第56回示現会展(2003)
          北岳の秋
    第57回示現会展(2004) 
        阿弥陀岳初冬
    第58回示現会展(2005)
        魔利支天晩秋






それぞれの絵の山は、皆ダイナミックに描かれていて、鎮座しているはずの山がまるで躍動しているかのように感じます。栗又OBの内なる心が絵に現れているのでしょう。
     第59回示現会展(2006) 
         白馬と杓子
    第60回示現会展(2007)
         映ゆる


インタビューを続けます。

絵は若い頃から描いていたわけではないそうです。ですが栗又OBは理工学部建築科でしたので、絵心は当然あったはずです。他大学と異なって早稲田の建築科の入試には、学科試験に加えて芸大と同じくデッサンの試験があったため、理数科の学力と共に絵心も入学の条件だったようですが、その辺りのことは謙遜していました。卒業後、栗又OBは大手建築会社で建築に携わってきましたが、その絵心は建築の仕事に遺憾なく発揮されて来られた筈です。

山で絵を描く時は、ベニア板で作ったザックに収容可能な折りたたみの画板を拡げ、3枚位スケッチを行い持参した水彩絵の具とパステルで簡単に着色をするそうです。写真も撮りますが、イメージがそれに捉われてしまうので、軽く記録するに留めるだけにするそうです。スケッチは見えた風景を写実するのではなく、描きたいものを大きく描くそうです。左の写真は絵を描いた日の仙人池から見た剱岳の風景ですが、絵と山の大きさが異なります。

  

そうしてスケッチした絵を基に、今度はキャンバスに描きます。 絵は毎年お正月から描き始めるそうです。4月に展覧会に向けて3月末に仕上げるために2〜3ヶ月をかけて描くそうです。2月に示現会内で批評会があり、それまで一応掻き揚げますが、それから本格的に仕上げるそうです。

最後に栗又OBはこうおっしゃっていました。
     「山に登れる内は、山を描いて行くと。」

これからも栗又OBの元気なご活躍を期待して行きたいと存じます。




  消え往く東京の風景を撮り続ける 保屋野OB(40年卒)    

保屋野OB(40年卒)の4回目の写真展が、文京区湯島の「写真表現・中村教室」のギャラリーで、「東京・街の風景、旧東海道界隈の新しい街・古い街」と題して2008年4月18日〜27日に開催されました。

昨年2月に第1回目写真展を開催してから、7月に2回目、12月に三回目、そして今回で四回目を迎えました。会場には新橋、浜松町、田町、レインボーブリッジ、お台場界隈のモノトーンの街の写真が所狭しと展示され興味がそそられました。


保屋野OBです。

写真展を開催した意図は、東京の街の風景特に今でも残っている昔の風景、保存したい風景、今記録として残しておきたい風景を中心に撮影し、中高年の東京を歩く方々への情報提供を行いたいそうです。

第1回目の写真展は谷中、根津、千駄木
第2回目は上野、浅草界隈
第3回目は築地、佃島、月島界隈を記録してきました。



     写真パネルのガラスが反射しています。                       これも反射しています。
トーチカのような建造物は?水門だそうです。昔の建物は建築に余裕があったそうです。      浜離宮の風景です。古いものと近代的な建築物の対比が激し
     すぎるように見えますが。これが現実です。
埋め立て地と飛行機、昔見た羽田の写真を思い出しました。                     この店は慶応大学の傍にあるそうです。
  ラピタに出てくる風景ではありません。東京です。

ここにご紹介した写真は、人のいない風景が多いですが、保屋野OBの写真はほとんど人が入っています。たまたま気に入った光景に出会うと、その光景に人が入ってくるまで、じっと待っているそうです。
東京の街の風景を撮影するに当たって、事前に、東京に関する本を読み、江戸から続いた歴史を学んで、江戸や明治の雰囲気が残っている場所を予備知識として持って出かけるそうです。訪れた街の角を曲がるたびに驚きと感動が生まれ、事前に調べた風景が、実際そこに行って出会うとまた新たな感動が生まれるそうです。
                            今までの写真展案内状
        07年 2月 初めての写真展
          07年7月 第2回目             07年12月  3回目 

保屋野OBの写真を見ると、構成がしっかりしているし、写真の奥に、表現された画像の何倍もの背景が控えている感じがし、何よりも
自分が勤めで携わった東京の街に対する深い愛情が感じられます。

写真を見てそんなことを想いながら、早速インタビューを行いました。
保屋野OBが写真を本格的に写すようになったのは卒業後直ぐに、給料の3倍以上を費やして一眼レフを購入した時からだそうです。保屋野OBの仕事は役所でしたが、学生時代は政経学部で新聞記者志望だったそうで、ドキユメンタリータッチの写真を撮りたかったそうです。改めて思い出して見るとあの時代、今より遥かに写真や映像が時代を表現する重要な道具だった気がします。当時優れた写真家たちが、岩波の世界や朝日ジャーナルの巻頭の写真を飾り、その鋭い眼で時代を抉り出す表現をしていた時代でした。しかもその表現には決して映像の命である「詩情」は忘れていませんでした。またNHKドキュメンタリーの「現代の映像」も同じような時代背景を受けて、凄いタッチの映像を送り続けていたように思います。あの時代を思い出しながら話し合っていたら、保屋野OBの写真が、何故構成がしっかりとした正統的な写真であったか、自分なりに良く判ったような気がしました。

保屋野OBがずっと以前から撮影のため、よく訪れる所が3つあるそうです。それは群馬県の甘楽町、長野県の飯田近くの日本のチロルと言われている遠山郷の上村、それに木曾の奈良井宿です。そこには何回も訪れて、そこの人たちとも交流があり、奈良井宿の小学校では、行くといつでも校内に入れてくれて写真を撮らせてくれるそうです。写真を通じて人との交流を大切にしています。

もう一つ。保屋野OBは1990年から2003年にかけて100名山を踏破しました。学生時代には誰でも数えてみれば40山位は登っており、保屋野OBもそうでしたが、これをご破算にして1から登り始めたそうです。写真もたくさん撮ったそうですが、満足した写真は30山位だったので写真展は開催しなかったとのことですが、保屋野OBの愛情溢れた山の写真を見たい気がします。

今後は8月、12月に写真展を予定しているそうです。東京23区は全部記録したいとのこと。次回は山の手線の内側を撮り、その後江戸川、葛飾、足立、そして更に世田谷、目黒、練馬等、3回の写真展を行い、全て終わったら写真集を出版することが理想なので、そうしたいと想っているとのことです。ぜひ期待したいと想います。

最後に、東京散歩のおすすめコースをお聞きしたら、新橋〜浜松町・田町〜レインボーブリッジ〜お台場が、おすすめだそうです。このコースは新しい東京と古い街がミックスした見所がたくさんあるコースだそうです。





        趣味レベルを越えた陶芸 稲門山の会副代表吉田OB(38年卒)

     08年6月1日(日)〜10日(火)に東京都美術館にて創造美術会の
     第61回創造展が開催されました。創造美術会の創造展は洋画、
     日本画、染織画、彫刻、陶芸の各部門に別れ、稲門山の会副代表の
     吉田OB(38年卒)が陶芸の部で出品されました。

     創造展は昭和22年11月に初めて開催されてから、今年で61回を
     迎える伝統ある美術展です。吉田OBは平成13年からこの美術展に
     応募し平成15年から5年連続入選を果たしてしています。

     もうすぐ会期が終わる「国宝薬師寺の日光、月光菩薩展」を見に国立
     博物館を目指す人々と別れて創造展の会場である東京都美術館に
     向いました。
     創造展の陶芸部門の会場に一歩足を踏み入れると、そこはレベルの
     高い陶芸作家の世界でした。


作品を前にして吉田OBです。
会場の作品は大型の壺や大皿がほとんどで、とても迫力があります。

吉田OBは陶芸を始めて20年経つそうです。最初は奥様が始めたのがきっかけで、ガス釜、電気釜を使用して湯呑み、徳利、ぐい飲み、皿などを作っていましたが、3年間かけて日本各地の窯場を訪ねて行くうち、備前焼に惹かれて行ったそうです。その訳は釉薬を使わず、灰も被ったままの最も自然な焼き方で、いい加減さが自分に合っているとの事でした。しかしそれは全くの謙遜であって、登り窯の中の置き場所によって、焔の動きで窯変する陶芸の極致を実践できるからでしょう。
   
吉田OBの作品です。実に美しく見事な作品です。

作品はただ「壺」と題しただけですが、訳を尋ねたら、名前を付けると鑑賞する人がそれに捉われてしまうので、あえて名前を付けなかったとのことです。

静的な落ち着いたフォルムの中に、下から波しぶきのように焔の紋様がダイナミックに吹き上げ、まるで静と動の美しい大自然をを凝縮している様です。


    会場に入ると初めの部屋は創造美術会員の陶芸作家の
    作品の展示があります。目を見張る技巧を尽くした作品も
    あります。
   奥の部屋が公募の作品です。彫刻と同じ展示で、陶芸の
   作品は厳選されていてどれも素晴らしく5年連続入選は
   大変なことと想います。
    吉田OBの高校時代のクラスメイトが訪れていました。
    みなさん和気藹々です。
   吉田OBの解説で作品を鑑賞しておられます。クラスメイト
   の方々は高校時代に、吉田OBが陶芸をおやりになると
   想っていたのでしょうか。   
                         08年5月初旬・創造展への出品準備
自宅近くの登り釜を共同で借りました。 数日間火の番をしなくてはならないため薪代も含め費用がかかるため、窯場でもめったに登り窯は焚かないそうです。  備前の登り窯を借りた時は12日間燃やし 続けたそうですが、仕事もあるためずっと 窯の傍に居るわけにもいかず、何回か現 地に行く間は人を雇ったそうです。



       薪は赤松です。    800℃で4日間焼くそうです。     窯開きです。感動の一瞬です。



    取り出して作品を並べます。   焼き上がったばかりの作品です。



                              07年10月の窯入れ
                          昨年10月に焼いたものです。
備前焼特有のぼた餅の緋襷です。




乾燥させた器をこれから窯に入れます。 登り窯は場所によって、窯変が異なるため場所取りが重要だそうです。 赤松の薪を窯に入れます。
これから4日間焚き続けます。備前では12日間行いました。 窯開けの瞬間です。上の壺が写真のように変化しました。 仕上がりが期待通りだったのでしょうか。吉田OBは嬉しそうです。
窯仲間の人たちと仕上がりを確かめます。 皆さんの作品が並べられました。 大変な苦労して出来上がった作品の数々です。
                               その他のこと

吉田OBは会社を経営されて多忙であるにもかかわらず、上記の陶芸活動の他、友人が経営する病院の老人ホームで、ボランティアで月2回陶芸教室を行っているそうです。これは既に13年続いているという事で驚きです。
                        3年かけたジョン・ミュア・トレイルの踏破

 吉田OBといえばジョン・ミュア・トレイルの完全踏破があります。ジョン・ミュア・トレイルとはヨセミテのあるカリフォルニア東部のシェラ・ネバダ山脈の全長340kmのロングトレイルです。
今から100年以上前、1892年ジョン・ミュアらによってサンフランシスコに山岳団体でもあり自然保護団体であるシェラ・クラブが創立され、時の大統領のセオドア・ルーズベルトが1901年、ジョン・ミュアの構想で成立したヨセミテ国立公園を訪ねキャンプしたことから国立記念物創設のきっかけとなりました。このシェラ・クラブは自然保護運動を展開した世界最初の本格的な団体といわれ、今日でもその影響力は大きく、世界中の自然保護、環境保護の活動に大きな役割を担っています。
ジョン・ミュア・トレイルはシェラ・クラブの精神を具現化する聖地として、世界中から自然保護、環境保護に関心がある人々を寄せ付けています。しかし全長340kmのジョン・ミュア・トレイル踏破には3,000mを越える峠を11も越さなくてはならない高低差の大きな登山道ですが、吉田OBは04年、05年、06年と毎年夏2週間ずつを要して、25kmのザックを担ぎ幕営しながら踏破しました。

この踏破の写真集は近々出版されるそうなので、その時改めてご紹介させていただきます。
最初の04年には、真下OB(39年卒)も同行しました。 行程中の写真を眺めていると、ジョン・ミュア・トレイルには、まさに広大な大地の鼓動が伝わってくるようです。




            保屋野OB(40年卒) 写真展(4回目) 

                   
東京・街の風景  山手線沿線とその内側の街
        
         保屋野OB(40年卒)の4回目の写真展が。2008年11月7日から11月16日に湯島の写真表現中村教室で
         行われました。
         今まで
         第1回目の写真展は谷中、根津、千駄木
         第2回目は上野、浅草界隈
         第3回目は築地、佃島、月島界隈を記録してきましたが、
         今回の写真展は山手線沿線とその内側の街がテーマでした。
         皇居、神楽坂、新宿、小石川、池袋、雑司が谷、目白、白山、麻布、赤坂根津、巣鴨、下谷で、
         私たちが何も気づかず通り過ぎてしまう様々な場所を、その暖かく鋭い眼で記録しています。
         どれもやがては昭和の時代の記憶と共に、ライブでは見ることの出来なくなってしまう風景です。
         
         写真展に出品した作品の中から、保屋野OBから気にっている作品を選んでいただきご紹介させて
         いただきました。美しい東京の風景をご覧下さい。
















保屋野OB(40年卒)の写真展
チベット・仏と羊とチョモランマ
保屋野OBによる写真展が新宿三井ビル1F・エプソンギャラリーで開催されました。 
 
 
 
   
 ドキュメンタリータッチの人物描写が得意な保屋野OBの写真展が開催されました。まさに正統的なドキュメンタリー写真の数々です。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
   
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
  斉藤OBと すっかり堪能いたしました。